修理完了
先月16日にFフォークOHに出していた749Rが完成した連絡を受けた 夜勤明けでまだ眠たいけど引取りに行ってみよう 都合のいい事に息子は仕事が休みでディーラーまで車で送ってもらえそうだ ジャンパー抱えて電車に乗らなくて済ぞ
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先月16日にFフォークOHに出していた749Rが完成した連絡を受けた 夜勤明けでまだ眠たいけど引取りに行ってみよう 都合のいい事に息子は仕事が休みでディーラーまで車で送ってもらえそうだ ジャンパー抱えて電車に乗らなくて済ぞ
九州は一度も行った事が無かった 結構山岳地帯の多いこの地は本格的な冬が到来する前に行っておかなければと出発を決意 3泊3日の限られた日程で九州全県に足跡を残すことが目的だったのでろくに観光はできなかった
その日の仕事を終えた俺は旅の支度を済ますと例によって六甲アイランドへ向かった 行きの足は夜行ダイヤモンドフェリーに決めていたので翌朝目覚めれば大分観光港という寸法だ 寝ている間に九州に着いてしまう本当に便利だ 船の中はレストランやでかい風呂まであってビールや酒も売ってるからホテルみたいなもんだ シーズンオフだから2等大広間だって一区画一人で占領できた
翌朝大分観光港に着いた俺はCBRを駆って一路阿蘇山へ向かったルートは確かやまなみハイウェイを通り九重を経由して行ったと記憶してる 外輪山の展望台から眺めた阿蘇山はかなり感動した 草千里を抜けて火口見物へ向かう途中 有名な?焼きトウモロコシ売りのお姉ちゃんを見掛けた 時間が無い金も無い俺は素通りしたけど皆愛想良く手を振ってくれた それが商売上の手である事は分かっていても嬉しかった 阿蘇の火口はシェルターがいくつも有りここが活火山である事をよく表していた
阿蘇山に別れを告げ次の目的地熊本に向かった 目的はただひとつ熊本城見学 昼過ぎに着いた俺は昼飯を済ませ城見学 姫路城とは好対照な立派な城だった 市内を走り回って水前寺公園の前を通った時になるほどここが水前寺清子の出身地かと妙に納得した事が記憶にあるな(別にファンでもないけど)
城見学を終えると俺はその日の宿泊地と決めていた宮崎へ向かった 当然時間が無いので九州自動車道と宮崎自動車を飛ばした 途中長ーい加藤藤トンネルを出てすぐ えびのパーキングで休憩したけど横を走るR211のループ橋が眺められたりしてなかなかのもんだった
夕刻宮崎市内で会社指定で割引の効く宿に電話するも何処も満室 結局宮崎県最南端にある都井岬のホテルがとれたので向かうことに 夕暮れの日南海岸は綺麗だった鬼の洗濯岩なんてのもあったけど新婚さんはいなかったぞ(古)何とか晩飯に間に合う時間にホテルに到着ビールが旨かった・・・つづく
夕方ディーラーからラボに出してたフロントフォークのOHが済み店に届いた連絡がきた 組み付けて週末の引渡しになるそうだが8月のドカラリーに間に合いそうで良かった ケツの火傷対策今から考えないといけないな
マンション購入に伴い更なる金欠生活を強いられる事になった俺にもはや普通車を購入する余裕は無かった でも新車が欲しいそれもエアコンの付いた車が欲しかった 予算50万円で買える新車を探していたら あったんだこれが スバルレックス550貨物ナンバー車 ちゃんとエアコンがついて値切って値切って50万円ポッキリ なぜかスカGの新車やGTRを買ったときより嬉しかった 休みの日は洗車に明け暮れボディーカバーまで掛けてた こいつは5年位乗ったけど今でも一番印象に残る車だ 俺の長男は20年以上前で3・4歳の事なのに駐車中にドアを凹まされた事等こいつの事をよく覚えている またこの時を機会に俺は軽自動車の魅力にとりつかれてしまった
バイクの方はというと CBがすっかり飽きてしまってたところ これまた同僚が持っていたZ750FXというのを譲り受けた いわゆるZ2の最終型でD2というやつだ プラスチックの外装品が殆ど無く重厚感に溢れていた実際クソ重たかった で またしても直ぐに飽きてしまい XS650SPLを友人から引き取って乗った 当然すぐ飽きてあげてしまった 自分でもどんなバイクに乗りたいのか分からなくなってきた時目にとまったのが FT500 シングルのダートトラックレーサーみたいな格好したやつ 軽くてセル付きそこそこ面白かったけど所詮単コロ パワーが無い おまけにこいつで大転倒をやらかし乗る気が一気に失せてしまった この時の転倒事故は京葉道路の直線で突然ハンドルを振られての転倒 よく言うウォルブという現象で5速全開に近いスピードだったから正直死ぬと思った 擦過傷で済んだけど暫くはショックで立ち直れなかった(一ヶ月くらいだけど)
転倒の原因をバイクのせいに決め付けた俺は(本当は仮舗装のギャップをわざとジャンプした事) もう少し重量のある2気筒以上のバイクへ乗換える事に決めた 相変わらず資金は無いので安いバイクを探していたところ 発表間もないのにそのスタイル故いきなり不人気車種だったやつに目を付けた スズキGR650 今時の人は知らないだろうな空冷DOHC180度クランク可変フライホイール そのちょっと前まで弟が同じバーチカルツインのTX650を持っていたので似たようなもんだろうと思っていたら大違い 4・5千回転以上でフライホイルが切離されるエンジンは180度クランクの特性を引き出して正に弾けるフィーリング 今俺が持ってるドカの749Rにも似ている シグナルグランプリだったら並みのナナハンを置き去りにするほどの瞬発力だった しかしながら余りにも格好悪いスタイルと安っぽい作りで2年と持たなかった・・・まだまだ続く
松山から太平洋沿岸を徳島までツーリングした事を会社の同僚で四国出身のやつに話をした 俺は四国全部走ったように自慢げに話をしたら鼻で笑われた 高知県山間部の四万十川源流近くで育った同僚に 四国の良さは山の中走らなきゃ分からないよと言われた 行くしかないそう決意した俺は次の休みで又四国に向かった 今度は逆ルートで朝早く鳴門大橋を渡り徳島からR438をひたすら西へ剣山や葛橋を見ながら(この半年後画像の反対側を通る剣山スーパー林道を走破するとは思ってもいなかった) そしてこの時の一番の目的地は西日本最高峰の石鎚山 残念ながら11月というのに積雪があったようで石鎚スカイラインは通行止めで山頂へ行くことはできなかった この後は面河峡を見てR33をひたすら飛ばして松山に向かった 帰りの足と決めていた松山発神戸行きのダイヤモンドフェリー出発時間に余裕ができたので道後温泉で一風呂浴びてから船に乗ったな 朝早く神戸に着いてその日の仕事に就いたけどきつかった
俺の珍スポ低いだけじゃなくて歪んでる 四年前に買った時も少し歪んでいたけど 歪みはどんどん大きくなっていく 下唇だけ歪んでしまいまるでレレレのおじさんみたい どうやらオイルクーラーの熱と走行中受ける風圧が原因らしい 持ってる工業用ドライヤーで加熱して変形を直そうとも思ったけど取り返しのつかない事になる虞があるのでそのまんま だいたい空力パーツなのにバンパー本体に小さなツメを差し込んでビス止めだけとはポルらしからぬ仕上げ 多分ホモロゲ取るためのやっつけ仕事なんだろう
俺は今まで何台のバイクや車を乗り継いできたか考えた事もないけど一度整理してみよう
高校時代初めて買った(親父に買ってもらった)バイクはCB250エクスポート360°クランクの遅いやつ 友人が持ってた3・4年古いCB250に加速最高速共かなわなかった この時180°クランクの偉大さを知った 当時は絞りハンドルが流行っていたので当然俺も付けた しかしこのバイクは程なくして手放した 理由はゴキタンバイクに乗るお巡りさんに信号無視を見つかり逃げる途中転倒事故を起こしてしまったため 烈火のごとく怒った親父は俺の免許証をガスレンジで焼いてしまった 当時ビニール製二つ折の免許証が炎をあげて燃えていった記憶があるな
喪が明けて免許を再交付 すぐにミニトレ80を買った 近所の小さな車屋のオヤジとトライアルの真似事をして遊んだ この時のオヤジさんその後店をどんどん大きくして今じゃコーンズの代理店になってマセラティーも売ってる 山ほどあるコレクションにはDino206もある でもポルを買った時店に行ったらガキの車と言われた ドイツの車大嫌いらしい クソ爺
高校を何とか卒業(追出された?)した俺はすぐに就職(卒業式の翌日が入社式)それから2年間はバイクも車も縁の無い生活を送っていた しかし車の免許を取ったのを期に火がついてしまった
2年間貯金した金をはたいて買ったのが発表間もないスカイライン2000GTS ダンパーをコニーに替えて乗っていたけどL20エンジンのかったるい吹き上がりはどうにも我慢できなかった そこでCG個人売買欄に出ていたハコスカセダンのGTR(PGC10)に乗換えた ところがこいつがとんでもない食わせ物でOH済みとは言え青白い煙を吐くポンコツだった 結局当時品川プリンスにあったスポーツコーナーに持込んでエンジンのOHを施す事に バルブは24本全部交換シム調整をバルブの頭を削っていたそうでOH済みの言葉に騙された俺が馬鹿だった また暫くしてミッシォンのシンクロが終わってしまいこれもOH 金の掛かる車だった
しかし完調になったGTRは乗り応えのあるやつだった ステンレスのタコ足からデュアルマフラーを経て吐き出されるエキゾーストノートは当時排気ガス対策黎明期の車ばかりの中にあって際立っていた 今でも忘れない明治通り表参道交差点の先頭で信号待ちをしていると横断歩道を歩くおのぼりの兄ちゃん達がスゲースゲーと言いながら通り過ぎて行ったことを 当然俺は優越感を与えてくれたお礼の気持ちを込めて青信号と同時にフルスロットルで発進加速S20エンジンの咆哮を聞かせて差し上げた 多分感動していた事だろう と思う
GTRとの甘い生活は諸般の事情により1年で終わりを迎えた(マンションの頭金に姿を変えた)その代わりの車が先輩から貰ったホンダクーペ7 空冷ドライサンプの四輪屋根付きオートバイ(俺はこいつを自動車と認めない) 9千回転位まで回すと気分はレーサー但しコーナリングは最悪であくまでも直線に限られてた アルミ製フィン付きオイルタンクは素晴らしい出来だった こいつは半年も乗らずに人にあげた(猿にはあげないだろ)
GTRを手放す引換えとして大蔵大臣に懇願して近所のバイク屋で見つけたCB750Fzを手に入れた これが俺のバイク復活第一号となる記念のバイクだ
こいつが家にきてからは俺は猿のように箱根通いをした とりわけ椿ラインはお気に入りで一日何往復もした
2年近く乗って車検が迫った時同僚が車検たっぷり付き同じCB750Fを手放すというので乗換えた 程なくしてヨーロッパでボルドールが発表されると俺はこいつがどうしても欲しくなった しかし当時逆車はべらぼうに高くとても手が出ない そこで俺は自分のバイクを実家のガレージに持込みエンジン・タイヤ・フレームをばらばらに切離した 持ってた工具モンキースパナと数本のメガネだけで ばらしたフレームやタンクとバイク雑誌を抱え近所の板金塗装屋に持込み俺は頼んだ この雑誌に出てるバイクと同じ色に塗ってくれと
組みあがったCBはまんまボルドールだった 早速日曜日の筑波山パープルラインに行った(この頃はまだ二輪通行禁止ではなかった) まだ逆車も販売されていないので注目の的になった 俺は鼻の穴を膨らませて製作過程を説明した
ところでこの時乗っていた車はというとスバルレックス550 新車で買った 始めてのエアコン付き車 という訳で本日はここまで
この地面をそぎ落とすようなスポイラーが空気じゃなくて俺の乗る気をスポイルしてくれる たいしたスピードだすわけじゃないからノーマルがいいな リアのウイング共々ノーマル化計画中 でも先立つものが無い 今日歯医者で見た今月号のCG巻末に96・1月号のテストデータが載ってた まだ忘れられてない事にちょっと嬉しかった
四国は合計4回位行った あんまり行き過ぎて何処から何処へ回ったか全部頭の中でぐちゃぐちゃになってる 確か初めて足を踏み入れたのは六甲アイランドから夜行ダイヤモンドフェリーに乗って松山だったと思う その日の仕事を終え8時30分発だったな 朝の5時半ころ到着して松山からはR56を下って足摺岬に向かった 足摺スカイラインで遊んだ記憶もあるな この後は高知市内で日本がっかり名所のはりやま橋を見てR55を室戸岬へ 後はひたすら走って鳴門大橋を渡り淡路島の岩屋港から明石に戻ったんだ そうだ1日で回ってやたらと疲れた記憶があるぞ
空を飛ぶわけでもないのに羽根が付いてる 飛ばないように一番下向きにした 空気抵抗が増すだけと分かっているけど インプレッサやランエボには見た目負けられない でも希望はもっと小さいやつが良い 73RSや74カレラみたいなやつ 50が近くなってこっぱずかしくなってきた