松山から太平洋沿岸を徳島までツーリングした事を会社の同僚で四国出身のやつに話をした 俺は四国全部走ったように自慢げに話をしたら鼻で笑われた 高知県山間部の四万十川源流近くで育った同僚に 四国の良さは山の中走らなきゃ分からないよと言われた 行くしかないそう決意した俺は次の休みで又四国に向かった 今度は逆ルートで朝早く鳴門大橋を渡り徳島からR438をひたすら西へ剣山や葛橋を見ながら(この半年後画像の反対側を通る剣山スーパー林道を走破するとは思ってもいなかった) そしてこの時の一番の目的地は西日本最高峰の石鎚山 残念ながら11月というのに積雪があったようで石鎚スカイラインは通行止めで山頂へ行くことはできなかった この後は面河峡を見てR33をひたすら飛ばして松山に向かった 帰りの足と決めていた松山発神戸行きのダイヤモンドフェリー出発時間に余裕ができたので道後温泉で一風呂浴びてから船に乗ったな 朝早く神戸に着いてその日の仕事に就いたけどきつかった
俺の珍スポ低いだけじゃなくて歪んでる 四年前に買った時も少し歪んでいたけど 歪みはどんどん大きくなっていく 下唇だけ歪んでしまいまるでレレレのおじさんみたい どうやらオイルクーラーの熱と走行中受ける風圧が原因らしい 持ってる工業用ドライヤーで加熱して変形を直そうとも思ったけど取り返しのつかない事になる虞があるのでそのまんま だいたい空力パーツなのにバンパー本体に小さなツメを差し込んでビス止めだけとはポルらしからぬ仕上げ 多分ホモロゲ取るためのやっつけ仕事なんだろう 
俺は今まで何台のバイクや車を乗り継いできたか考えた事もないけど一度整理してみよう
高校時代初めて買った(親父に買ってもらった)バイクはCB250エクスポート360°クランクの遅いやつ 友人が持ってた3・4年古いCB250に加速最高速共かなわなかった この時180°クランクの偉大さを知った 当時は絞りハンドルが流行っていたので当然俺も付けた しかしこのバイクは程なくして手放した 理由はゴキタンバイクに乗るお巡りさんに信号無視を見つかり逃げる途中転倒事故を起こしてしまったため 烈火のごとく怒った親父は俺の免許証をガスレンジで焼いてしまった 当時ビニール製二つ折の免許証が炎をあげて燃えていった記憶があるな
喪が明けて免許を再交付 すぐにミニトレ80を買った 近所の小さな車屋のオヤジとトライアルの真似事をして遊んだ この時のオヤジさんその後店をどんどん大きくして今じゃコーンズの代理店になってマセラティーも売ってる 山ほどあるコレクションにはDino206もある でもポルを買った時店に行ったらガキの車と言われた ドイツの車大嫌いらしい クソ爺
高校を何とか卒業(追出された?)した俺はすぐに就職(卒業式の翌日が入社式)それから2年間はバイクも車も縁の無い生活を送っていた しかし車の免許を取ったのを期に火がついてしまった
2年間貯金した金をはたいて買ったのが発表間もないスカイライン2000GTS ダンパーをコニーに替えて乗っていたけどL20エンジンのかったるい吹き上がりはどうにも我慢できなかった そこでCG個人売買欄に出ていたハコスカセダンのGTR(PGC10)に乗換えた ところがこいつがとんでもない食わせ物でOH済みとは言え青白い煙を吐くポンコツだった 結局当時品川プリンスにあったスポーツコーナーに持込んでエンジンのOHを施す事に バルブは24本全部交換シム調整をバルブの頭を削っていたそうでOH済みの言葉に騙された俺が馬鹿だった また暫くしてミッシォンのシンクロが終わってしまいこれもOH 金の掛かる車だった
しかし完調になったGTRは乗り応えのあるやつだった ステンレスのタコ足からデュアルマフラーを経て吐き出されるエキゾーストノートは当時排気ガス対策黎明期の車ばかりの中にあって際立っていた 今でも忘れない明治通り表参道交差点の先頭で信号待ちをしていると横断歩道を歩くおのぼりの兄ちゃん達がスゲースゲーと言いながら通り過ぎて行ったことを 当然俺は優越感を与えてくれたお礼の気持ちを込めて青信号と同時にフルスロットルで発進加速S20エンジンの咆哮を聞かせて差し上げた 多分感動していた事だろう と思う
GTRとの甘い生活は諸般の事情により1年で終わりを迎えた(マンションの頭金に姿を変えた)その代わりの車が先輩から貰ったホンダクーペ7 空冷ドライサンプの四輪屋根付きオートバイ(俺はこいつを自動車と認めない) 9千回転位まで回すと気分はレーサー但しコーナリングは最悪であくまでも直線に限られてた アルミ製フィン付きオイルタンクは素晴らしい出来だった こいつは半年も乗らずに人にあげた(猿にはあげないだろ)
GTRを手放す引換えとして大蔵大臣に懇願して近所のバイク屋で見つけたCB750Fzを手に入れた これが俺のバイク復活第一号となる記念のバイクだ
こいつが家にきてからは俺は猿のように箱根通いをした とりわけ椿ラインはお気に入りで一日何往復もした
2年近く乗って車検が迫った時同僚が車検たっぷり付き同じCB750Fを手放すというので乗換えた 程なくしてヨーロッパでボルドールが発表されると俺はこいつがどうしても欲しくなった しかし当時逆車はべらぼうに高くとても手が出ない そこで俺は自分のバイクを実家のガレージに持込みエンジン・タイヤ・フレームをばらばらに切離した 持ってた工具モンキースパナと数本のメガネだけで ばらしたフレームやタンクとバイク雑誌を抱え近所の板金塗装屋に持込み俺は頼んだ この雑誌に出てるバイクと同じ色に塗ってくれと
組みあがったCBはまんまボルドールだった 早速日曜日の筑波山パープルラインに行った(この頃はまだ二輪通行禁止ではなかった) まだ逆車も販売されていないので注目の的になった 俺は鼻の穴を膨らませて製作過程を説明した
ところでこの時乗っていた車はというとスバルレックス550 新車で買った 始めてのエアコン付き車 という訳で本日はここまで
この地面をそぎ落とすようなスポイラーが空気じゃなくて俺の乗る気をスポイルしてくれる たいしたスピードだすわけじゃないからノーマルがいいな リアのウイング共々ノーマル化計画中 でも先立つものが無い 今日歯医者で見た今月号のCG巻末に96・1月号のテストデータが載ってた まだ忘れられてない事にちょっと嬉しかった
四国は合計4回位行った あんまり行き過ぎて何処から何処へ回ったか全部頭の中でぐちゃぐちゃになってる 確か初めて足を踏み入れたのは六甲アイランドから夜行ダイヤモンドフェリーに乗って松山だったと思う その日の仕事を終え8時30分発だったな 朝の5時半ころ到着して松山からはR56を下って足摺岬に向かった 足摺スカイラインで遊んだ記憶もあるな この後は高知市内で日本がっかり名所のはりやま橋を見てR55を室戸岬へ 後はひたすら走って鳴門大橋を渡り淡路島の岩屋港から明石に戻ったんだ そうだ1日で回ってやたらと疲れた記憶があるぞ
今日は休みだけど台風が来てるから何処にも行けない で 朝寝してたら起きたの11時半 雨が降ってるけど洗濯した 俺んちの洗濯機梅雨入り前に買換えてナショナルの乾燥機付きにした流行の斜めドラムに 洗濯中は水が入ってるか心配になるほど節水してくれる しかーし乾燥が問題だ 水冷式の乾燥機なので水道水を5時間位垂流すもったいない 更に以前失敗したのがYシャツを洗濯乾燥した時だ 取出してビックリしわくちゃにアイロン掛けしたようになってる便利なようで不便な面も それに斜めドラムのおかげで取出すときに腰を屈めて覗き込まなきゃならない 使いづらい♪使いづらい♪ でも新しい物好きの俺は結構満足してる 但し人にも勧めるかと聞かれたら 微妙
空を飛ぶわけでもないのに羽根が付いてる 飛ばないように一番下向きにした 空気抵抗が増すだけと分かっているけど インプレッサやランエボには見た目負けられない でも希望はもっと小さいやつが良い 73RSや74カレラみたいなやつ 50が近くなってこっぱずかしくなってきた
部下の原付を従え小豆島へ繰出した R250を姫路に下り関西急行フェリーで小豆島福田港に到着 反時計回りで土庄へ 二十四の瞳像や映画のロケセット(リメーク版)のものを見学 本物の田浦分校を見た後は銚子峡を経由して寒霞渓へ 標高差700メートルの急勾配で体重100キロ以上ある部下が乗るアドレスV100は観光バスに追いまくられてた 瀬戸内海へ一気に落ちていく寒霞渓は見ごたえ十分 坂手港までの下りワインディングはKSRⅡにインを刺されっぱなし軽量ショートホイールベースは早い 坂手からは関西汽船フェリーのサンフラワー号で大阪南港へ楽ちんワープ 神戸までR43で帰ったんだけど途中から高速道路みたいになって原付軍団びびりながらも全開走行小学生の頃家族旅行で来たとき大きな像と思っていたら小さかったつまり俺が大きくなった銚子峡のあたり当時は建築中の明石海峡大橋をくぐる
国内仕様標準で付いてくるこのシート 見た目はレーシングバケットだけどスプリングクッションが入ってる快適シート 長距離走っても腰は痛くならない優れもの 但し乗り降りのしずらさも一級品 このシートのおかげで普段乗る気が湧いてこない 最近はチプトロのスタンダードが良いななんて思うこともある 歳とってきたんだな
ボウズは通勤でビートを使っているけど ドアパンチを喰って凹んだ たいした凹みじゃないけど気になる 頭にくるのが気にしない馬鹿ボウズ