どかぽる

自分大好き55歳

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行ってきましたドカラリー

朝の7時に家を出た時は晴れてた クソ暑くなりそうだなと思っていたら小田原から雨 ターンパイクを上がっていったらどんどん雨は強くなり会場に着いてみたならばガスも掛かって先が見えない それでもいっぱい来てた赤い軍団 結局イベントが始まる前に会場を後にして帰路についた
1年前に買ってから一度も雨に当てた事が無かったので意気消沈して帰った 行くんじゃなかったと後悔ばかり
家に着いてから洗車してやったけど以外に汚れてなかったのはちょっと救われた気持ちになれた
でも 今回の雨中走行で少しばかりふんぎりが付いた感がある これからは降水確率あまり気にせず出掛けられるかも
帰り道の西湘パーキングで見たA6以前のニンジャ16インチのマビックマグホイル履いていた 今はどのメーカーも17インチしかだしておらず探していた逸品 オーナーさんに入手先を聞いてみたけどかなり昔に買った物との事でした 残念
ニンジャはF16 R18が一番 それもダイマグだったら言う事なし  

Posted 8月 21st, 2005.

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インテグラ1600GSi とカマン?

 5・6年乗ったレックスも二人の子供の成長に伴い窮屈になってきた 次の車をどうしようかと考えていたら発表間もないインテグラに興味が湧いてきた 搭載されるZCエンジンはホンダが満を持して送り出したDOHCエンジンだ 購入後慣らしを終えてから初めてレッド手前まで回した時は感動したそれでも6千5百か7千回転くらいだから今のレベルでいえば常識の世界だけど昭和61年当時は十分高回転エンジンだった 
 しかしいただけないのはミッション 4ATを買ったけどLレンジが付いておらず発進して2速にシフトアップするとアクセルペダルをいくらべた踏みしてもキックダウンしてくれなかった このおかげで坂道を走行中は大型バスの追越しもままならず安全運転を強要された思い出がある
 まだ気に入らなかった事がある 5Drで車重が1トンちょうど 今時のテンロククラスより百キロ位軽いけどそれはそのまんま車体剛性に表れており どんな時でも車体がワナワナとよじれる感覚がつきまとっていた その分燃費は抜群に良かったけど
 バイクを手放した俺はインテが面白くてバイクに乗りたい欲求は無かった Z650を売った金でラジコンヘリを買ってしまった
 ヘリコのお話
 エンジン動力のラジコンは飛行機を初め一切やった事がなかったのに半完成ヒロボーの30クラスヘリを買った俺は始めて浮上させるまで2・3ヶ月もかかってしまった ヘリをやった事がある人なら分かるけどヘリの命はマストと呼ばれる心棒にあるスワッシュプレート こいつとローターをどういう位置関係でリンクさせるかが分かっていなかった ヘリの姿勢制御は主にローターのピッチ(角度)をスワッシュプレートによって連続的に変えて行うけど サーボモーターによって与えたアクションはすべて90度遅れてトルクが発生するという回転モーメントを知らなかった この初歩的な事を分かっていなかった俺はスキッドが地面を離れたら即横転を繰り返していた 実機だったら何人殺していたことやら 
 話がヘリにそれたついでに変わったヘリの話
 名前は カマンK1200(マックス) 俺も飛んでる姿は6・7年前輸入されてすぐ新木場ヘリポート近くで数回しかないけど2軸交差反転式2ローターでテールローターは無い 乗員は1名しか乗れず資材運搬専用ヘリ(吊上げ能力は3トン近い) 飛んでる姿は奇妙でシャンシャンシャンと恐ろしく静かに飛んでいる まるで竹とんぼのようだった 日本には僅か2・3機しかなく山間部の資材搬送用として地方で活躍しているそうだ
 

Posted 8月 15th, 2005.

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こいつの走行時間

 日航機のエンジンが破損 部品が粉々になって地上に落ちる事故があった このエンジンの飛行時間6万時間 ものすごい時間だ おれのRSは7万キロ走ってる けど今までの平均速度35キロとしたってたったの2千時間 航空機に求められる耐久性は自動車とは桁違いに凄い  昔ポルシェも911エンジンを使って航空機エンジンメーカーとして名乗りを上げた事があったようだけど撤退した おそらくレシプロエンジンでほぼ独占的な市場を持ってるライカミングの牙城を容易に崩せると考えたんだろう ライカミングのエンジンは空冷OHVターンフロー2バルブで水平対向4か6気筒だからOHC燃料噴射エンジン(ターボだったと思う)をもってすればたやすい事と考えたんだろうな ところがどっこい空の世界は何事も桁違い ローテクOHVだって世界で使っているエンジンの延べ使用時間は天文学的数値に違いない 結局その信頼性の世界に食い込めなかったんだな 
 しかし その信頼性を上げる努力はこの空冷911に生かされているはずだ 俺のエンジンはあちこちとオイルのにじみが気になり始めたけど運転時間たったの2千時間 壊れるわけないよな 仮に壊れても航空機と違って墜落する心配はない したがってオイル交換以外のメンテナンスはしない  
 結論は自分の不精とケチを正当化してるだけ(ヘリクツ) 終わり   

Posted 8月 14th, 2005.

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真っ赤なポルシェ

 都内の中古屋さんのサイト見てたら見つけた 96のカレラ 6速マニュアルでバリオラム 6万キロも走っているけど超綺麗 お値段は税込み525万円 おそらくはエンジン ミッション クラッチOHをやっていないだろうから値段は妥当なところだと思う 色はちょっと派手だけど(ガーズレッド?)オプションの17インチも付いてる 何より4人乗りでド派手なウィングが付いてないしロードクリアランスもたっぷりと確保されているから買い物にも使えそうだ 欲しい  

Posted 8月 13th, 2005.

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九州3日目(最終日)

 雲仙温泉で2日目の宿を取った俺は夕方雲仙地獄を見物キリシタン殉教碑があってここがキリスト教伝来の地であることがうかがい知れた それにしても家庭風呂みたいなちっちゃい風呂で本当にボロ宿だった
 翌朝朝飯を済ませた俺は早々に宿を出発 雲仙普賢岳の溶岩ドームを間近で見学する この前年か2年前に噴火し多数の犠牲者を出した山は荒涼としていた
 R57沿いに島原国見を経由して長崎に向かう途中普賢岳山頂から海岸線の国道まで火砕流によって焼き尽くされた一帯を通ったけど自然災害の凄まじさを実感 国見町で国見高校の前を通った時は何故か名所旧跡見るような感覚だったな
 長崎市内に入った俺は観光定番の洋館に向かった ここで初めてグラバー邸が数ある洋館のひとつに過ぎない事を知った 爆心地公園も行ったけど広島といいアメ公は酷い事したもんだと思った 今だって同盟国は名ばかり実態はオキュパイドジャパンだよ まったく
 市内観光を早々に切上げた俺は長崎自動車道に乗って大宰府へ向かった 目指すは大宰府天満宮 ここで高校受験を控えた息子の合格祈願をするために 俺の息子は親に似て馬鹿だから賽銭はかなりはずんだ記憶があるな ここの名物へんてこりんな饅頭結構旨かった
 大宰府でお参りの済んだ俺は九州自動車道から中国自動車道を経由 山口から山陽自動車道を飛ばして一路神戸へ帰路についた
 関門橋手前の めかりPAでは本州と九州がこんなにも近いのかとビックリ 手を伸ばせば届くようなところに本州があった 小次郎敗れたりってか
 中国道に入って間もなく日没 高速なのに照明が無いのは走っていて心細かった 山陽道を選んだのも瀬戸内海岸線の都市の明かりを見ていたかったから それにしても長距離便のトラックの速い事 皆130キロ位で飛ばしてる
 夜の9時過ぎ宿舎に帰り着き風呂入ってビールを1本旨かった 俺の同僚達俺が事故って今日死ぬか明日死ぬかって心配してたそうだ ごめんなちゃい
まだまだつづく

Posted 8月 9th, 2005.

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お掃除終了

 1時から初めて2時間半暑い中よく頑張った 水垢は殆ど付いて無かったようだけど輝きを取り戻したグランプリホワイトはレーシングポルシェの雰囲気があっていい感じ ポルの白にはグラッシャーホワイトという純白があるけど(GT2など)俺はこのくすんだ白の方が好きだ
 磨いている時気づいたのがこいつのボディーは曲線だらけ ルーフもビートルのように風船を膨らませたようだし 張り出したリアフェンダーからバンパーにすぼまっていくラインも女性のお尻のようでセクシー フェラのいかにも速いぞってスタイルとは違うけど惚れ直した
 ついでに言うと 今日歯医者の2階からこいつを見たら少し張り出したフロントフェンダーからドアにすぼまりリアフェンダーで再び大きく膨らむそのラインはコークボトルのようだった 
 

Posted 8月 9th, 2005.

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ポル出動

 今日は隣町の歯医者に行かなければならない いつもならトッポで行くところだが今日は薄曇で日差しも強くないからポルでバッテリーチャージを兼ねて行ってみる カンカン照りだとポルのエアコン効きが今一でいやになっちゃうから 帰りはワックスを買ってこよう なにしろ雨に当たらない事を理由にして1年近くワックス掛けしてない 多分雑巾掛けの水垢がたっぷりとついているだろうから磨けば遠目には綺麗になってくれるだろう
 そういえば1年半も前にポルジャパンから届いたリコール修理まだやってない メインハーネスがリサイクル品を使っている可能性があってボロボロになってしまう虞があるとの事 早く行かなきゃと思いつつ1年半 俺もかなり横着者だ 

Posted 8月 9th, 2005.

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九州二日目

 宮崎の都井岬で宿をとった俺は翌日は長崎を目指した 朝早く宿を出て志布志湾沿いにはしるR220を飛ばした 途中足の短い馬がいっぱいいたけど ここが数少ない野生馬の生息地である事は宿で知っていた 
 鹿屋を抜けて大隈半島の根占まで向かう途中海上自衛隊鹿屋基地の横を通った ずらりと並ぶP3Cオライオンを見たとき俺の家の近くにある下総基地を思い出した 俺の家は着陸航路の真下だからP3Cは毎日見ているので妙に懐かしい風景だった 
 根占発のフェリーに飛び乗り向かった先は指宿 開聞岳を眺め池田湖の横を抜けて目指すはこの日のハイライト指宿スカイライン 神戸から遠く離れおとなしく走るつもりでいた 少なくとも喜入の石油備蓄基地を見るまでは しかしその後は白いR32GTRと鹿児島までバトルになってしまい降りるはずの鹿児島ICを過ぎて鹿児島北ICまで行ってしまった 馬鹿だった
 市内見物しながら桜島を眺めるため鹿児島港まで行ってみたら自衛隊の軍艦が停泊していた 水兵さんに声を掛けたら中東から帰還したばかりで機雷掃海艇という いろいろ話をしてくれて機雷掃海艇は機雷の爆破を防ぐため全て木造でできていることを知った 今時木でできた軍艦があったとは驚きだった 
 鹿児島市内観光を早々に切上げた俺は九州自動車道に乗り松橋ICで降りて天草五橋を経由島鉄フェリーに乗るため本渡市の五和町に向かった 途中あちらこちらに天草四郎像が建っていたのを覚えている
 長崎の口之津港についた俺は夕暮れ迫る中二日目の宿に決めていた雲仙温泉に向かった これまた指定旅館で安いのはありがたかったがボロ宿だった 温泉があったのがせめてもの救い・・・つづく野生の馬(囲いの中で飼われてるじゃん)指宿サーキット(伊豆スカに似ている)船の本体は木 天草四郎

Posted 8月 6th, 2005.

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カワサキZ

 GR650の次に俺の愛車となったのがカワサキZ650LTDいわゆるザッパーだ こいつはタダでせしめた 会社に出入りしていた中華やのオヤジが釣りの足として買ったものの最初の2年乗っただけで4・5年車庫に放置していたのを貰った ほこりを払ったらピカピカの新車みたいに綺麗だったけどキャブの中は腐って復活させるまで結構手間がかかった このバイクどんなカワサキ本見ても出てこない幻のバイクだった 初期型のスポークモデルは必ず出てるけどこいつは完全に忘れられてる こいつの評価をすならば とにかく速い 軽い 音がいい 特にクロスセットマフラーから吐き出される排気音は乾いたサウンドで痺れさせてくれた
 しかしこいつとの別れは自分の意に反して訪れた 翌日のツーリングに備えて駐車場に行ったら 無い 有るはずの俺のバイクが無い あったのは先の折れたハサミだけ 盗まれてしまった 1ヶ月程してバイク発見の連絡を受けて交番まで取りに行ったら 片側のマフラーが切断され哀れな姿に変わり果てていた 一応直して暫くは乗ってみたものの一度ケチの付いた物に愛情がわかずほどなくして手放した
 それから2年間程俺はバイクの無い生活を送った

Posted 8月 5th, 2005.

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直ったぜ

 半月ぶりに見た749Rはテライオロッソのカラーも眩しく一際輝いていた 早速スタンドを外してサスを揺すってみると 硬い 明らかにOH前より硬い しぶい訳ではないから良いのだけれど 
 ラボは749Rの標準セッティングにしてるはずだし メカさんは平行出しもちゃんとやってあると言う OH前はスポーツバイクらしからぬ柔らかさだったからこれが本当の堅さなんだろう よく分からん 
 とりあえず帰りの東関道は3車線全部使って四輪スネーク全開ぶっ飛びで帰ってきた 速いぜ♪ 弾けるぜ♪ 最高だ♪ ハーイウェーイスターーーーーって調子に乗っていたら予想外の進路変更をしたトラックのケツめがけて危うく自爆テロを敢行するところだった 危ない危ない 安全運転第一グッドウッドサービス工場にて

Posted 8月 4th, 2005.

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